プロフィール

村田信之(むらた のぶゆき)プロフィール

<少年期>

1966年5月27日生まれ(丙午)。
漁業と造船の町長崎で少年時代を過ごす。

長崎海星高校ではラグビー部に所属。ポジションはスタンドオフ。
高校3年生のときに長崎県代表チームに選抜(奈良国体に出場)。

<ジャーナリストとして>


早稲田大学政治経済学部政治学科に入学。政治学を学ぶ一方で、短歌の佐佐木幸綱先生のゼミに。『サラダ記念日』の俵万智さんの後輩にあたる。
在学中からフリーライターとして雑誌や新聞など広い分野で活動する。

タレントでニュースキャスターの蓮舫さんと結婚。
仕事ではジャーナリストの田原総一朗さんのスタッフとして活躍し、永田町の政治、霞が関の行政、丸の内で企業トップなど、田原さんといっしょに取材して報道していた。

二人で中国の北京大学に留学。寮生活をしながら世界中から集ってきた秀才たち、そして中国随一のエリートたちとの親交を深める一方で、大連、上海、西安などに旅行にいって、見聞を広める。

<政治の世界へ>


帰国後、これまでの経験や人脈などを活かし、2004年に蓮舫さんが参議院議員選挙に当選。民主党(当時)の政策インクタンク「プラトン」の研究員に。2009年の政権交代を経験する。
また、鳩山内閣では内閣官房専門調査員として、首相官邸でも仕事をする。

<教育の現場で>


教育の面でも活躍。2004年、早稲田大学のリーダーシップ科目「大隈塾 21世紀日本の高層」の立ち上げに参画。20年にわたって「大隈塾」を担当し、早稲田大学のリーダーシップ教育に携わってきた。
ほかにも、立教大学、白鴎大学、京都芸術大学、立命館大学などでも教鞭をとってきた。

<釜石に移住>


2011年4月、清宮克幸さん(現日本ラグビーフットボール協会副会長)といっしょに釜石を訪問。雑誌の取材、執筆などで毎月釜石に訪れるようになる。
2020年、離婚を機に岩手県釜石市に移住。本人の住民票だけではなく、代表を務める会社も釜石に本社移転。釜石と東京の2拠点生活を送るようになる。

<略歴>

1966年5月27日長崎県佐世保市生まれ
1985年海星高等学校卒業
1993年早稲田大学政治経済学部卒業
1994年ジャーナリスト田原総一朗氏のスタッフに
1995年北京大学へ留学(〜1997)、帰国後は田原スタッフ復帰
2002年大隈塾「21世紀日本の構想」の立ち上げに関わる。早稲田大学客員研究員
2003年大隈塾ゼミ(高野孟ゼミ、岸井成格ゼミ)の教員に
2004年大隈塾ネクスト・リーダー・プログラムを立ち上げ、ディレクターに
2006年早稲田大学大学院公共経営研究科修了(公共経営学修士)
2008年京都芸術大学客員教授(〜2018年)
2008年早稲田大学非常勤講師(〜2012年)
2009年内閣官房内閣総務官室専門調査員(〜2010年)
2012年早稲田大学客員准教授(〜2022年)
2014年「ネクスト・リーダー・プログラム」を「リーダーシップ・チャレンジ」にアップデート
2016年立教大学経営学部兼任講師 BLP(ビジネスリーダーシッププログラム)担当(〜2016年)
2017年「21世紀日本の構想」から「たくましい知性を鍛える」にアップデート
2020年岩手県釜石市に移住
2021年大隈塾のコミュニティハウス「クマラボ」を立ち上げ、岩手・東京の2拠点生活に
2022年釜石ラグビー応援団、NEXT KAMAISHIに参加。大隈塾「たくましい知性を鍛える」修了し、早稲田大学を退職
2023年防災士の資格を取得

研究分野 リーダーシップ、公共経営、地方創生
著書 『ひまわり弁護士』(講談社文庫 2006年)

「たくましい知性を鍛える」(大隈塾)
学生たちが授業を企画、運営する授業。
<「たくましい知性を鍛える」ための3つの柱>
①学生が主体的に運営する
②自分のアタマで考え、行動する
③体験を言語化する
<授業の構成>
・ゲスト講師による講義orプロジェクト・プレゼンテーション
・グループ&全体での対話(dialog)
・プロジェクトのプレゼンテーション
講義(input)→ 対話(dialogue)→プロジェクト(action)
→プレゼンテーション(output)→言語化(reflection)

「リーダーシップ・チャレンジ」
リーダーシップ・チャレンジは各社から20人程度が集まるリーダーシップ研修。
講義とワークショップを組み合わせ、
リベラルアーツを学びながら、リーダーシップを身につける。
プログラムの枠組みを与えられた研修というより、
そこからさらに自分たちでデザインし、学びを探究し深化させていく。